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【肖像ドットコム】時空を超えて〜歴代肖像画1千年
信長、信玄、家康、モーツァルト…古今東西の肖像画辞典!
   
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 【肖像ドットコム】 時空を超えて〜歴代肖像画1千年 創刊準備号No.0000

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                          2006年12月11日発行

★★★歴史上の人物に会いたい!⇒⇒⇒過去に遡り歴史の主人公と邂逅する。
そんな夢を可能にするのが肖像画です。

 多くの場合、肖像画家は生きた人間と向き合って描いています。対峙するモ
デルは黙っていても多くの情報を発信しています。画家はそのひとつひとつを
画布に塗り込んでゆくのです。

 織田信長、武田信玄、豊臣秀吉、徳川家康、モーツァルト、ベートーベン、
ジャンヌ・ダルク、モナリザ……古今東西の肖像画を紀元2千年の肖像画家と
一緒に読み解いてみませんか?


□≪今週の内容≫―――――――――――――――――――□
【1】 織田信長の肖像画(長興寺)
【2】 肖像画データファイル 
【3】 像主について 
【4】 作者について 
【5】 肖像画の内容 
【6】 次号予告
【7】 編集後記
□――――――――――――――――――――――――――□


◆【1】織田信長の肖像画(長興寺)━━━━━━━━━━━━━━━━━◆

 戦国の覇王・織田信長を描いた肖像画の中で興味深い作品が数点存在してい
る。第一回は、1583年に描かれた愛知県長興寺の信長像を取り上げてみたいと
思う。

 この肖像画はこれまで歴史の教科書に数多く掲載されているので、読者の皆
さんも、ああ、あれのことだな、と脳裏に浮かぶのではないだろうか。

★★★織田信長肖像画(長興寺蔵)はこちら
⇒⇒⇒ https://www.shouzou.com/mag/p0.html


◆【2】肖像画データファイル━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆

作品名: 織田信長の肖像
作者名: 狩野宗秀季信
材  質: 紙本著色(日本画・軸装)
寸  法: 70×31.2 cm
制作年: 天正11年(1583年)
所在地: 三河・長興寺(愛知県豊田市)
注文者: 与語久三郎正勝
意  味: 信長の一周忌にあたる天正11年(1583年)6月2日に、家臣で三河・金
谷城城代だった正勝が信長への報恩のために描かせて寄進した。


◆【3】像主・織田信長(1534−1582)について━━━━━━━━━━━◆

 室町時代末期の日本において、天下統一に最も近い位置にいた戦国大名で
あり、天才的な政治家だった。彼ほど因襲やタブーから自由だった日本人は
いないだろう。

 尾張名古屋の守護代の家臣の家に生まれた織田信長は、1582年までに、
現在の中部、北陸、近畿、中国地方を含む17の県に該当する国土をほぼ手中
にしている。

 さらに中国、四国の平定も目前に控えていたが、家臣明智光秀の謀叛に合い
京都本能寺にて自害した。

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 彼は、芸術家ともいえるような審美眼と才能の持ち主だった。

 幸若舞、南蛮渡来のファッションを好み、相撲の興行や天下の名馬を揃えた
御馬揃えの大パレードを企画した。また、狩野派絵師や茶人など多くの芸術家
を抱え、自らの権威を高めるために活用している。

 部下への褒美に領地を与える代わりに高名な茶器や、茶会を開催する権利を
与えるとか、敵対する大名へは美術品を贈って懐柔を計るというような独創的
なやり方で、政権の基盤を固めて行った。

 またそれまでにない画期的な構造を持つ安土城築城のオーナーであり、デザ
イナー兼総合プロデューサーでもあった。


◆【4】肖像画の作者について━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆
       
 絵師の名は狩野宗秀季信(1551-1601)。元秀とも号す。

 室町後期から江戸時代を通じては狩野派の全盛期である。
 
 信長の頃の狩野派一門を率いていた総帥は 狩野永徳洲信(1543-90)であり
宗秀はその直ぐ下の弟だった。総領永徳の名声は、当時も今も非常に高い。
彼は安土城の内部装飾の総責任者であり、信長のお気に入りであった。

 父親は2代松栄直信といい、宗秀の弟には休白長信という風俗画の名手がい
るが、父や弟たちに強い光が当ることはなかった。しかし、現代に伝わる障屏
画を眺めると、永徳と並ぶ力量を持っていたことが分かる。

 宗秀の描いた花鳥画の、ぎっしり埋め尽くされた画面には、少しも違和
感がなく、全てが、その空間にあるべきものであるがごとくに存在している。
その緊密性には、確かに、天才を感じさせるものがあった。

 ただ、彼は強引な性格ではなかったらしく、淡々と兄の指図に従って仕事を
行っていたようである。

 永徳の死後は、その嫡子光信を盛り立て、また狩野一門が豊臣氏の御抱え絵
師としての地位を確保するために活躍した。法眼という僧位にも叙せられてい
る。


◆【5】肖像画の内容━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆

 信長は眉間にシワを寄せて、裃(かみしも)姿で青畳の上に座っている。
衣は、白い小袖で、胸元に赤い下着をのぞかせている。

 肩衣はうぐいす色で、袴(はかま)も同色にコーディネート
されている。背景はなく、黄土色で塗られている。

 肩衣の両肩に、将軍足利義昭から貰った桐の紋章。

 白の小袖には白い桐唐草模様が見える。緻密で丁寧な仕事を、ディスプレイ
から感じ取っていただけるだろうか。

 腰に小刀を差し、その右手には扇子、左手はこぶしを軽く握っている。

 上部の画賛の位置に像主の戒名と死亡年月日。下部には寄進の意味などの説
明文。

 永禄4年(1561)信長は尾張から三河へ進出し、現在の豊田市内の加治屋村
(金谷村)を焼き払った。永禄9年には寺部城を攻め、翌永禄10年(1566)
金谷城主の中條氏を滅ぼし、長興寺を焼き払うと周辺を勢力下におさめた。

 金谷城は信長の家臣佐久間信盛が城主となり、余語久三郎正勝が城代となっ
た。その後余語正勝の手によって長興寺は再興され、信長の一周忌の法要に
併せてこの画像も寄進されたという。

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 信長が眉間にシワを寄せているというのは、周りの者にとって迷惑な光景で
ある。

 君主の留守中に無断で外出したために、戻ってきてから問答無用で成敗され
た女中たちの話や、茶坊主が信長の不興を買い棚の陰に避けたところ、棚ごと
たたき切られたという悲惨な話が思い浮かぶ。

 インテリの明智光秀も扇子で叩かれたり足蹴にされたりしている。

 家中の者でなくとも、客人の面前で、打ち据え折檻された役者梅若大夫の例
がある。

 それは1982年5月19日のこと。客は徳川家康、3月に完遂した武田勝頼討伐の
労をねぎらうための宴の席だった。

 先に演じた幸若大夫の舞に比べ、梅若の能が下手だったせいである。


 ただ、絵の中の信長は、拳を握り締めているわけではないようだ。この絵を
よく見ると、眉間のハの字のシワも、取って付けたような印象がある。何より
眉毛と連動していないのだ。

 ためしにこのシワだけを覆い隠してみると、信長は優しい顔をしている。よ
く見知っているつもりでいたが、これは意外だった。

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 この絵は、信長の死後に描かれた追慕像である。

 如何に宗秀が優れた絵師であっても、記憶だけで真に迫る肖像画を描くこと
はできない。参考にした下絵が存在したはずである。

 残念なことに今は失われてしまったが、兄の永徳は、信長の眼前にて容貌を
写生し、生前の肖像(寿像)を描き残していた。それを借り受けて参考にした
らしいのだ。

 その絵姿は子孫が行った模写によって知ることができる。

 ふたつの画像では、容貌と裃の色は異なるが、ポーズと着物の形がほとんど
同じである。

 ただ、この永徳の筆になる肖像では、信長の眉間にシワは描かれなかった。
信長も始終しかめっ面をしていたわけではない。一方、宗秀には、それを描き
加えたい気持ちがあったと見える。

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 彼自身も安土城の障壁画制作の主役の一人である。信長の近いところにいた
ため印象もまだ生々しいものがあったようで、まず女中成敗事件についても伝
え聞いていたに違いない。

 あの特徴ある眉間のシワは描いておきたい。信長の家臣であった正勝に異論
はないだろう。

 こうして宗秀の主観によって加えられたハの字シワは、穏やかな表情と矛盾
しているため、見る者に、逆に強いインパクトを与えるようである。

 この肖像は後世、信長のイメージを決定づけることになった。

 実は頬の輪郭をたどる線も、写生をなぞってはいない。やや丸っこくて、写
という意味ではリアリティが弱いのだが、彼独自の意のある線が感じられる。

 絵の出来不出来を、直描きの実在感や写実性と比較するわけにはいかないけ
れども、追慕像としては、信長の人格を彷彿とさせる一級品の仕上がりとなっ
ている。


◆【6】次号予告━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆

 次回は長興寺信長像の手本となったと考えられる狩野永徳による織田信長の
肖像画を紹介します。といっても、実物は失われましたので、一門の画家によ
る模写ですが、数少ない永徳の画業をしのぶことのできる良品です。


◆【7】編集後記━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆

 ご購読有難うございます。メルマガを初めて配信することになりました。

 発行周期については不定期と記しましたが、第10号までは週刊でお届できる
かと思います。筆力はありませんが、信長にはどうしても力が入ってしまいま
す。あと数回信長の肖像におつきあいください。

 というわけで、次回は12月18日(月)にお届いたします。
何卒ご購読のほど、よろしくお願いいたします。


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 発行周期 :不定期
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