油絵肖像画 注文制作の肖像ドットコム。離れて暮らすご家族の大切な思い出に。金婚式、銀婚式のお祝いに。叙勲、就任、引退、卒業のご記念に。ご子孫に安心して残せる、価値ある肖像画・ウェルカムボードを制作いたします。作品は高級額縁に納めてお届けします。
肖像画専門店・肖像ドットコムロゴ1 肖像画専門店・肖像ドットコムロゴ2
肖像画トップページ 肖像画ギャラリー1 肖像画ギャラリー2 肖像画のお問い合わせ 肖像画サイトマップ
HOME
油絵肖像画
水墨肖像画
こちらから
SITEMAP









肖像画メールマガジン
【肖像ドットコム】時空を超えて〜歴代肖像画1千年
信長、信玄、家康、モーツァルト…古今東西の肖像画辞典!
   
≫バックナンバー
powered by 肖像画専門店⇒まぐまぐトップページへ




更新情報
 




モネとホドラー『家族の肖像』


 クロード・モネ(1840−1927)という画家はずっと評価していなかった。人間をあまり描いていないこと。人生を描いていないこと。描かれたものが何も暗示していないこと、つまり、写生で終わっていること。そんなことが理由だったろうか。

ラ・ジャポネーズ





 松方や大原といった日本の大コレクターたちに高値で作品を買わせ、広大な庭園や豪邸を所有する、でっぷり肥えた大金持ちであったという偏見もあった。セザンヌは言った、「モネは眼に過ぎない。しかし、何という素晴らしい眼だ」と。この言葉の前段のみを鵜呑みにしていたのだ。

 「積み藁」や「ルーアン大聖堂」のシリーズ、オランジェリー美術館の「睡蓮の間」などを知るうちにこれはとんでもない画家だと思い直したのはそう遠い昔のことではない。


 それはさておき、テレビ東京の『芸術に恋して!』を見て初めて知ったのは、若きクロード・モネが極端な貧困に喘いでいたことだった。

 「草上の昼食」「庭の女たち」「緑衣の女」「アルジャントゥイユのひなげし」「日傘をさす女」。貧しさを微塵も感じさせない。しかし、美しいいでたちで描かれた恋人や母子の像は、貧しさの中の精一杯の装いだったのだ。

 1875年の「ラ・ジャポネーズ」では金髪のかつらを被せたカミーユに着物を着せてポーズをとらせているが、食べるものにもことかいていた彼らの心情を察すると痛々しい。

 1876年の妊娠中絶のあとカミーユは重病に陥った。2人目の子供を育てる資力などあるはずもなく、中絶は苦渋の末の決断だったろう。そして1879年長患いの末、最愛の妻カミーユが没する。モネ39才、彼女は32才の若さだった。

 

 『芸術に恋して!』の中で私が衝撃を受けた、一枚のモネの絵、それは死の床のカミーユの肖像だった。

 大切な人の死をもキャンバスに残そうとする行為。番組ではこれを、“画家の業”ととらえていた。司会の高嶋ちさとは、「そんなことより、もっと他にすることがあるでしょう!」と憤慨していた。なるほど。

 しかし、もう死んだあとだったとしたら、それほど非難されるべき行為でもない。それをさせるのは画家の中の絶望的な悲しみなのだ。“めったに得られないモチーフを描くチャンス”だから描く、のではなく、もう二度と彼女を描くことができないから描くのだ。

 



 まず、その絵を描写する前に、もう一人の画家を紹介しよう。死体を描いた画家は多いし、死に行く家族を描いた画家も少なくない。中でもスイス人のフェルナンド・ホドラー(1853−1918)が、内縁の妻を描いた一連のシリーズは有名である。

 1909年、55才の画家は36才の美術教師ヴァランティーヌ・ゴデ=ダレルに出会った。4年後には二人の間に一人娘が生まれるが、その前年から彼女には癌の兆候が現われていた。



 ホドラーは出会った当初から彼女の死まで百枚以上の肖像を描いた。こちらを見返す元気な美しい肖像。生まれた娘を抱く姿。力なく見返す「病めるヴァランティ―ヌ」。苦しそうに口で息をする「死に近きヴァランティ―ヌ」。そして物質と化した「死の床のヴァランティ―ヌ」。

 それらは衝撃的な作品である。と同時に、確かに残酷な作品群と言えるだろう。日本にも『九相詩絵巻』(鎌倉時代)と呼ばれる類似のものがあるけれども、ホドラーは特定の人物をモデルにしているためにその表現性は際立っている。

 さて、ホドラーの制作を遡ること36年、印象派のクロード・モネはどう描いたか。

 

 

 一般に知られているモネの制作方法は、常に同じ光のもとで描いたということである。カミーユの死から10年後の作品 『積み藁』、『ポプラ並木』、『ルーアン大聖堂』、これらはすべてそうであった。

 モネが初めて、『積み藁』を描き始めたときのこと。時間が過ぎて光の具合が変わり、目の前の積み藁の見え方が変わると、彼は制作を中断した。そして傍らにいた娘に五六枚のキャンバスを取ってくるように言いつけた。キャンバスが届くと、新たに積み藁を描き始めたのだ。数時間してまた光が変化したとき、彼はさらにもう一枚の新しいキャンバスに手を付けた。こうして彼は、常に同じ光の下で絵を描くのである。

 だが、1879年に死の床のカミーユを描いたときはまだ、ここまで光に忠実な態度ではなかった。彼は息絶えた妻を長時間、ただ一枚のキャンバスに描き続けたのである。

 人体は死の瞬間から変化を始める。脳機能停止。呼吸停止。心臓停止。血液循環停止。体温低下。死後硬直。蝋化。腐敗。それをモネは、後年積み藁を観察し続けたように、しつように追求したのだが、キャンバスを変えることはせず、時間の経過と共に現われた死人の容貌の変化を、すべて一枚に描き込んだ。

 

 死人を描いた絵でいいものはない。そこには希望のかけらもない。しかし、番組の中で垣間見た、妻カミーユの最後の肖像、それは驚くべきものだった。

 物質と化してゆく32才のカミーユ、その変化し続ける土気色の容貌を、モネは見事に描き切っていた。時間の流れを描き切っていた。別の言葉で言うと、絵が動いていた。こんな絵は見たことがなかった。

 ホドラーは妻を描いた数十点の絵によって、時間の流れを表現した。一枚一枚は完結しており、中に描かれた肖像は静止していた。
 しかし、モネはたった一枚の中で時間の流れを表現した。彼が描いた死者の肖像は、動いていた。小さくしなびていく過程、朽ちていく変化が見えるのだ。

 そうしながら画家は、おそるべき筆力で、時の流れを押しとどめようとしていた。カミーユ、行かないでくれ、その筆跡には心情が表われていた。

 

 死人を描いた絵でいいものなどないと書いた。しかし、『死の床のカミーユ』は、例外である。あの絵はどこで見られるのだろうか。

(02/03/09)

「ヴァラティーヌ・ゴデ=ダレルの肖像」1910
「ヴァラティーヌと娘ポーレット」1913
「病めるヴァラティーヌ・ゴデ=ダレル」1914
「病めるヴァラティーヌ・ゴデ=ダレル」1914
「死に近きヴァラティーヌ・ゴデ=ダレル」1915
「死に近きヴァラティーヌ・ゴデ=ダレル」1915
「死の床のヴァラティーヌ・ゴデ=ダレル」1915
九相詩絵巻(鎌倉時代)より

モネの絵画
「死の床のカミーユ」1879
ajiさんの協力でこの絵を見つけることができました。

【肖像ドットコム】時空を超えて〜歴代肖像画1千年

歴史好きのための雑学辞典。信長、信玄、秀吉、家康、モーツァルト、ベートーベン、ジャンヌ・ダルク、モナリザ…古今東西の肖像画を、紀元2千年の肖像画家と一緒に読み解いていきましょう!知らず知らず芸術に精通します。

下の無料購読フォームからお申込みいただきますと、新刊が発行されるたびに、インターネットの本屋さん『まぐまぐ』よりメールマガジンが届きます。


無料メールマガジン登録・解除 ID: 0000217722
【肖像ドットコム】時空を超えて〜歴代肖像画1千年
   
バックナンバー powered by まぐまぐトップページへ




 


肖像画制作の本格派
肖像ドットコム

since1999



本ページに掲載されている、肖像画図版、写真、文章は、全て著作者が「著作権」を有しています。ページの一部または全部について著作権者の承諾を得ずに無断で 複写、複製することは法律で禁じられています。
Copyright (C) 1999-2018 SHOUZOU.COM. All Rights Reserved.

PAGE TOP