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ご先祖さまと一緒にマイルを貯めよう その2

「また今度ー」とか「考えとくー」とか

いう言葉があります。

 

九州生まれで名古屋育ちの私は

曖昧にぼかすのが苦手なため、

「また今度」などは積極的な意味に

用いています。

 

関東では人にもよるのでしょうが

そのつもりは無いよという意味で使われる

ことが多いようです。

 

 

 

私に年の離れた従兄弟がありまして

九州生まれの東京育ち、

お医者さんをしています。

 

妻が大病したとき、彼のおかげで腕の良い

ドクターに巡り会えたので、もうひと昔前の

ことになりますが今もとても感謝しています。

 

その彼はまさに上のような言葉を多用

するタイプでした。

 

お金持ちですし、何十年かぶりで会うと

いう警戒感があったにせよ、どうも対話

するのに壁を感じ、

 

多忙は間違いないのでしょうけど、田舎の

親戚付き合いとか絶対しない人のよう

でした。

 

多種多様な人間があふれ返る大都会。

「生き馬の目を抜く東京」という言葉が

あるくらいですから、おそらく

 

東京生まれの東京育ちでない人間は、

用心してもし過ぎることはない、

ということなのでしょう。

 

 

一直線の参道。近所にも寺院が多い。

 

 

ここで少々昔話におつきあいください。

 

私の父はヨシテルという名で、89才。

大分県の中津江村という山奥の生まれ

で、今は名古屋の実家におります。

 

2002年の日韓ワールドカップのとき

カメルーンが合宿した場所でしたね。

 

ヨシテルの家は貧しく、

母親はひとりで、ヨシテルと3人の

姉妹を育てました。

 

戦後は配給が途絶え食物がないため、

ヨシテルは何週間かごとに、阿蘇で

農業をやっている伯母の家まで

作物をもらいに行ったそうです。

 

8時間歩いて阿蘇にたどり着き

一泊させてもらって、翌朝には

 

いただいた米や作物を

背負い籠一杯に入れて

8時間かけて家にもどります。

 

やっと村が近づいたところで、

 

疲れ果てて意識もうろうとしていた

ヨシテルは何かにつまづいて

勢いよく転倒したのです。そして、

 

豆やら大根やら玉ねぎやら

ばーっと店を広げてしまいました。

 

これは親戚のもらいものですが、当時は

禁じられている闇物資に当たります

ので警察に見つかれば没収です。

 

そこに兵隊が通りかかりました。

 

17才のヨシテルは心臓が止まる思い

だったそうです。

 

背の高い兵隊は、

つかつかつかと近づくと

 

しゃがんで、散らばった作物を手早く

籠に入れてくれました。そして

「はよ行け」

と言って去りました。

 

私の父ヨシテルはそのときの感激を

生涯忘れませておりません。

 

 

***********

 

 

数日のちヨシテルの姉に来客がありました。

 

戦争中、村の若い女子供は慰問袋を作って

戦地の兵隊さんを励ます手紙やら日用品

を送ったものだそうです。

 

そのときの来客というのは

遠い中国の戦場で、

ヨシテルの姉の慰問袋を

もらったお礼に来られたとの

ことです。

 

そして

 

挨拶に出たヨシテル

の前に立っていたの

あのときの兵隊さんでした。

 

 

復員兵と姉はのちに結ばれ、

弟のヨシテルとは「ヨシテル」「義兄さん」

と生涯呼び合う仲になりました。

 

夫婦は大分で二児を得たあと、

東京に移り、世田谷で事業を起こしました。

彼等の長男が最初に紹介した私の

従兄弟です。

 

 

***********

 

 

豪放磊落な伯父と父ヨシテルは

お互いに何度も助け合っています。

 

ただ、何か美学を持っていたのでしょうか、

戦地での悲惨な体験によるものでしょうか、

 

夫人が亡くなったとき弟のヨシテルに連絡

しませんでした。そして、自分の最期の

とき誰にも連絡させませんでした。

 

 

 

ヨシテルはだいぶ経ってからそれを知り

甥っ子(私の従兄弟)に電話したのですが

 

例によって煙に巻くような応対を

されたたため、昔気質の父にはまったく

理解できず、墓の場所さえ聞き出せず、

「あれはだめだ」と憤慨していました。

 

 

***********

 

 

ヨシテルの長男で

 

親戚付き合いも墓参りも縁がなく

ひとりで生きてきたつもりの

芸術家気取りの私

でしたが

 

それでも、ご先祖様を敬うことの

功徳を感じるような年代になり、

 

出歩くのが不自由な父の代わりに

私が伯父伯母の墓参りをしようと

思いました。

 

私は神奈川在住ですから。

 

従兄弟と話すのはどうも疲れるので

まず面識のあった奥様に電話すると、

こころよくお寺さんを教えて

くれました。


東京都港区元麻布の賢祟寺

佐賀鍋島藩主の菩提寺。

 

初代藩主鍋島勝茂が埋葬されている。

勝茂は龍造寺家の家臣だったが、主家の

廃絶後、家康の許可を得て藩主となった。

 

 

1936年の二二六事件で処刑された

首謀者や関係者も葬られている。

 

二二六事件とは、2月26日の雪の朝

陸軍の若手将校が起こした反乱で

政権を奪取しようとした大事件。

 

今でも東南アジアでときどき

勃発します。このときは、大蔵大臣

高橋是清が射殺されましたが

彼は本当の人物といえる人でした。


女優・川島なお美やミュージシャン

かまやつひろしの墓もあるらしいですよ。

 

 

私にとっては初めての訪問で、

ご住職に墓の場所を

尋ねるのは少し緊張しました。

 

鐘つき堂 銅葺き屋根が美しい。

 

「伯父さん伯母さん、お久しぶりです

 

 

うちのお墓ではないので、

プライバシーに最大限配慮して

こんな写真になりました。(汗)

 

 

二二六事件の将校の墓がそんなに離れて

いない場所にあったのが意外でした。

 

この墓は伯父が建てたもので

ふたりだけしか埋葬されていません。

 

世田谷の住まいから離れているこの

地を選んだことは、伯父の意思で

あったはず。

 

 

二二六事件の際、伯父はまだ

16才ぐらいだったから考えすぎかな。

 

墓参のあと撮影 興国山 賢崇寺

 

 

 

(読者の声)

 

それで画家さん、昨日の

織田信長の肖像画の

話が無いんですけど?」

 

 

「んー考えとく」

 

 

 

スマホの写真から肖像画が作れます

 

【私が描いた33名の肖像画】

 

 


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