大切な写真が
 スマホの中に  埋もれてませんか
肖像画にして明るい額縁におさめれば、
あと50年100年家族で楽しめます♬

―― 肖像画家の安心保証 ――

2



上野公園の桜を横目で見ながら、帰途に着いた。

東京のしにせ額縁店で用を済ませ、

上野公園の桜を横目に、帰途に着く。

 

上野には4つのミュージアムがありまして

 

上野の森美術館

国立西洋美術館

東京都立美術館

東京国立博物館

 

いつもは博物館の展示を見終わったとき

などまっ直ぐ、JR上野駅の公園口へと

向かうのですが、

 

いや、これはもったいない

 

と思ったので、さくら通りを突っ切って

広小路口まで歩くことにしたんです。

 

写真のデータでは17時52分、

夕方でだいぶ疲れていたんですが、

 

カミサンのために上野の桜を撮って

帰ろうと思いましてね。

 

上野公園は、明治になる直前に

上野戦争があった場所なんですよね。

 

 

幕府はもう、大政奉還していたのに、

納得いかない彰義隊(しょうぎたい)3000人

と、新政府軍が全面衝突したのです。

 

戦闘は1日で終わりますが、当時寛永寺の

堂宇(どうう)が立ち並んでいたこのあたり

一体は、焼け野原になりました。

 

寛永寺は、彰義隊をかくまったというので

寺地をほとんど没収されて、上野公園に

されてしまったのだそうです。

 

 

ゆふざくら 兵(つわもの)どもが夢の跡

今は昔ですね。

 

 

この日は4月5日の金曜日。

 

多くの背広姿が満開の桜の下に

陣取って、そろそろ酒宴が始まろうという

ところでした。

 

寛永寺の清水観音堂
 

「この建物は、寛永寺だとは思うけど

何なんだろう」と思いながら撮影しました。

 

 

帰ってから調べたことですが、

徳川家康の側近に、天海という

百年生きた知恵者がおりまして、

 

家康が死んだあとの1625年

江戸城の鬼門(北東部)に、

日本一広大な寺院を建立します。

 

これが東の比叡山と呼ばれた寛永寺で、

徳川家を守護する役目がありました。

 

 

で、この清水観音堂は、

京都の「清水の舞台」を模して、

作られたのですが、何とこれが

 

幕末の上野戦争(1868年)も
大正の関東大震災(1912年)も

昭和の東京大空襲(1945年)も

かいくぐって、

 

1631年に天海が立てた当時そのままの

姿で、現存しているというのです。

 

 

さらに驚いたことに
 

五重塔があるって!

まさか?
 

私、建築史を学び、さらに美術を学び

ここに何度も来てるんですよう。

 

 

それでまた、

幸田露伴が書いた『五重塔』を

読んでいたものですから、

 

この小説のモデルである五重塔は昭和

の火災で全焼したとばかり思ってた。

 

それが田舎者の勘違い。

確かに全焼してはいるのですが、

 

燃えたのは谷中天王寺の五重塔。

上野寛永寺とは、まるで無関係。

 

 

天海が1631年に建立した五重塔は

落雷で焼失してはいますが、その

8年後に再建された江戸の五重塔が

上野公園に厳然とそびえているのです。

 

 

現在は上野動物園の敷地内で

外からは高い木々にさえぎられ、
 

入園料を払わないと

見えないんだってさ。


今度、絶対に来よう…

 

夜桜のライトアップはどんな感じかな。

 

 

 

スマホの写真から肖像画が作れます

 

【私が描いた33名の肖像画】

 

 


PAGE TOP