リトグラフ「石版画プレス機」
つい先日放送終了した(2023年9月29日)NHKの朝ドラ『らんまん』の中で、石版画が主要なモチーフとして取り上げられてゐた。
昭和天皇(1901-89)に植物学の御進講を行つた植物学者・牧野富太郎(1862-1957)をモデルに、主人公の槙野万太郎と妻・寿恵子の生涯を描いた長編ドラマである。
万太郎は日本の植物学の草創期、東京帝大に出入りしながら最初の植物学雑誌の出版を思ひ立つのだが、写真製版の技術がなかつた当時は、浮世絵に於ける彫師と同様、職人が元図を版に描き起こすのが普通だつた。
しかし、その模写の精度に満足できなかつた彼は、自分で描くために印刷会社の見習ひとなつて石版画技術をマスターする。次いで、輸入品である石版印刷機(一千円;現在の150万円)を自費で購入して印刷した。さうして「日本植物志図篇」を26歳で出版したのだ。
彼は野山で採取しためづらしい草花を標本にし、論文を執筆し、学術的かつ詳細で美しいスケッチを起こし、研磨した石灰石に筆で描き写すと、版に加工し、インクを盛つて紙に刷る。すべて自費で、挿絵1ページあたり300部。
石版印刷現場の苦労を知る身には万太郎(=富太郎)は、メジャーリーガー大谷翔平を超える、学者、絵師、刷師と云ふ三刀流のスーパーマンに他ならず、驚嘆と羨望と懐旧で私の目は、毎回釘付けになつてゐたものであつた。
さて、たつたの2年間であつたが、私が所属してゐた古径版画工房では、洋画家や日本画家が絵を描いた後、それを版にして印刷機で刷ることが仕事であつた。描き手が刷りまで負担するには、肉体的労力が大き過ぎるので、版画ビジネスの現場では早くから分業体制が出来てゐた。
読者の皆さんの中には、表題の「石版画プレス機」つて何?と思はれる方がおられるかもしれない。
印刷工が扱う「石版画プレス機」と「石版画印刷機」とは同義語ではない。そもそもこの頑丈そうな鉄のマシン、「石版画プレス機」には印刷機能がなく、あるのは文字通りのプレス機能だけだつた。
木版画なら、描いた線描画を板に貼り、彫刻刀で凸版を彫る。これに水絵具を塗り、紙を置いてその上からバレンで擦れば木版画は出来る。しかし石版画では固い油性インクしか使へない。固いインクはバレンでは紙移りしないので、大掛かりなプレス機を用ゐることになつたのである。
なぜ、油性インクしか使えないのか? 石版画は描いた絵それ自体を版にしようとして発明されたものであつた。絵柄だけにインクを盛れるやうにする。そのためには描いた部分と描かない余白に、それぞれ別々の機能を持たせればよい。こんな発想は、いまだに欧米人の独壇場の様だ。
アロイス・ゼネフィルダー(1771-1834)と云ふドイツ人が、水と油の反発する性質に注目した。描かない余白にはアラビアゴム液でマスキングをして、保水作用を持たせる。マスキングされてゐない描画部分は、油性インクを引き寄せる薬品で置き換へる。これが石版画の原理であつて、当然油性インクしか使へない。
もう一つ、「石版画」と「リトグラフ」の違いは?といふ方がおられるかもしれない。綴り字は、ドイツ語でSteindruck、仏語でlithographie、英語でLithograph。
「Stein」や「litho」が石を、「Druck」「graph」が記されたもの・図表を意味するので、「石版画」と「リトグラフ」は同義語になる。ゼネフィルダーはこの技術は石だけでなく金属にも可能であると言及しており、「石版画」と云ふ言葉には、石板だけでなく、亜鉛板(ジンク板)やアルミ板を用ゐた版画も含まれる。
商業印刷においては、重くて扱ひにくい石板は、とうの昔に金属板に置き換わり、アルミ板の表面に感光材を塗布したPS板(Presensitized Plate)による写真製版が普及して久しいが、石板の手触りは今も多くの版画家たちを魅了してゐるらしい。では次に、石版画の実際の手順を説明すると、
1.版の準備と描画
まず初めに、石灰石を研磨する。石と石または、石と金属製の研磨盤の間に金剛砂と水をはさんで、擦り合はせることによつて平滑にし、かつまたクレヨンが引つ掛かりやすい様に、表面の目立てを行ふ。
ドラマ「らんまん」では水平方向にクルクル回転させる研磨盤で楽々研いでゐて目を丸くした。私たちの工房では、重くて扱いにくい石灰石を使うことが少なかつたので、研磨盤を備へ付けてなく、石と石を上下に重ねて研いでゐたものだつた。
これが亜鉛版やアルミ板であれば、その薄さゆゑに繰り返しの使用には耐へられず、かつ又予め目立てが施されてゐるために、研磨と云ふ工程は必要ない。
目立ての済んだ石板や金属板に、油性の解き墨やクレヨンで描画する。その際に手の油脂をつけない様注意せねばならない。解き墨は水に溶くと墨液状になるので、筆を用ゐて水墨画のやうに自由に描くことができる。
描画を終へたら、プレス機の台上に移す。金属板はプレス機の定盤との間に少量水をはさむと固定される。ここからは、板を版にする「製版」といふ工程となる。
2.製版
油性の描画部を松脂粉(ラズン)、滑石粉(タルク)の順で覆つて、油脂が拡散しないやうにした上で、石板全面に液状のアラビアゴム(酸性液)を薄く塗布する。すると余白の部分が水分を保つ保水層に変はる。ゴム液には、予めインク汚れや描画層の太りを防ぐ目的で、酸性のエッチ液(Etchant)を加へておく。
つぎは描画部をインクの付きやすい物質に置き換へる作業である。まづ布につけたホワイトガソリンで絵柄を拭き取る。(余白部分はゴム液で保護されておりガソリンを通さない。)
そこにピンク色の平版用ラッカー(Planographic Lacquer)を布で薄く塗布する。その上からさらに黒いチンクター(Tincture;液状アスファルト)を同様に擦り付けることによつて、描画層がインクを引き付ける強固な塗膜に置き換はる。
この作業を「チンクター返し」と呼んでゐる。金属板にはラッカー塗りが必須の工程になるが、石板ではチンクターだけでもよい。
この後、練り台の上に、製版インクを用意する。これに亜麻仁油をヘラで混ぜて適度な柔らかさに練り拡げ、革製のローラーに均一に付着させておく。
プレス機上の版に塗られたアラビアゴムを水スポンジで除去し、きれいな水で保水させる。右手に革ローラーを保持した状態で、左手にもつたスポンジで版面をさつと拭いて、即座に両手に持ち替えたローラーを版面に転がす。
すると、薄く水を湛えた余白部分はインクをはじき、ラッカーとチンクターに置き換へた絵柄にだけインクが付着する。きつちり絵が再現されたら、ラズンとタルクでインクを覆つて、全面にアラビアゴムを薄く塗布する。
これで製版が完了となる。製版インク盛りとは、版面をインクに馴染ませ、余白を余白としてきつちり残すための補強作業であつた。ここからは最終工程に入る。
3.刷り
別の練り台にカラーインクを一色調合する。富太郎の図譜では、黒刷りの単色版であつた。
インクは柔らかくなりすぎると細かい描画をつぶしてしまふので、号外インクを微量混入して固めに保つ。色味を薄くするためには透明メデュームを混ぜる。練り終はつたインクを、ヘラで横に広げゴムローラーを転がして均一にインクを付着させて準備は完了。
プレス機の版面台には製版済の版が固定されてゐる。ホワイトガソリンで、版上の製版インクを拭き取り、続いて水スポンジでアラビアゴムの保護膜を洗い流す。
版面がきれいになつたら、右手にゴムローラーを保持する。左手に持つた水スポンジで版に水を引き、即座に両手に持ち替えたローラーを版面にタテヨコと転がす。乾きかけたら再び水スポンジで水湿ししてインクを盛る。
版面に十分なインクが乗つたら、版画用紙を静かに版上に置く。その上に保護紙(当て紙)、クッション用のフェルトをかぶせ、チンパンで覆ふ。
チンパン(Tympan)とは、プレス時の衝撃を和らげるために用ゐられるポリカーボネートなど、合成樹脂製の緩衝板である。
版面台を押して、チンパンで覆つた版の端が、スクレーパーの下になるまで移動させる。スクレーパー(Scraper)はスクレーパー・ホルダー(Scraper Holder)にネジ止めされた木製の大きなヘラのことで、周囲には革ベルトが巻いてある。
そこでプレス機の圧力調整ネジを回し、チンパンの近くまでスクレーパーを降下させる。スクレーパーがチンパンに当たる辺りにはグリースをたつぷり塗つておく。
レバーを手前に倒すと、版台が上昇。スクレーパーと版台によつて、本紙やチンパンが挟み込まれる。レバーを上げ下げしながらネジを調整して、挟み具合が丁度良いプレス圧を確保する。この状態でクランクハンドルを回すと版台が前進する。
スクレーパーがチンパン上を滑つて、版全体にプレス圧が加はる。そこでレバーを上げると版面が降下。版台を手前に引き出し、チンパン、フェルト、当て紙をはずす。本紙は印刷具合を見ながら静かにめくり取る。版面はすぐに水スポンジで湿らせて、次の刷りに備える。
以上、全工程を説明するとかやうに複雑ではあるが、プレス機の圧力調整ネジは、一度位置決めすれば変へる必要はないので、プレス時にはレバーを倒すだけで済むし、腕の良い職人による刷りはあつという間に終はる。
しかし、このやり方で300枚を刷る労力は尋常ではないことがお分かりだと思ふ。私が使つてゐたプレス機は電動だつたので、ハンドルはなかつたが、手動機のクランクハンドルは、プレス圧がかかつた状態で回すので怖ろしく重い。ドラマを見てゐると富太郎の苦労がしのばれた。
私たちを指導した古径版画工房の刷師・岡野満はMGM(光村グラフィック)社の創立に携り、パリのムルロ工房に学んだ。かのフェルナン・ムルロの子息ジャック直伝の厳格な技術者であつた。「職人仕事で遅くて良いことはひとつもない」と云ふのが彼の口癖であつたことを懐かしく思ひ出す。
本作品を描かせた動機は、きつい労働の日々の中で心強い相棒であつたプレス機への愛着にほかならない。
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