水墨画「ブルターニュの少女」
2004年私はフランスはブルターニュにあつた。四十半ば、うだつの上がらない画家。活路を未知の国・芸術の本場フランスに求めようといふのである。無謀とは思はなかつた。かつて一度も成功した試しがなかつたけれども、心の中では、かつて一度も勝算のなかつたことがない。それこそが無謀と云ふものなのだが。まあ頭のネジが一本外れてゐると諦めるしかない。
ブルターニュ地方はフランスの北西の角に位置し、大西洋に面してゐる。4月1日、船で15分の距離にあるグロワ島に上陸した。有名なベル・イルとは比べものにならない小さな島である。大阪のイベントで知り合つたフランス人女性キャロリーヌが経営する小さなギャラリーをバカンスの1ヶ月間だけ借りることにしたのだ。
ギャラリーは港から5~600メートル上がつた町中にあり、二階建ての三軒長屋になつてゐる。もと肉屋さんだつた一階をギャラリーに改装してあり、隣家はカフェを営んでゐた。私は山水画を展示しながら、水墨画で肖像を描いて生活の足しにする腹積もりであつた。
ギャラリーの奥の急な階段を登ると、粗末なバスとトイレのついたワンルームがあり、小さな流しと電気コンロ(電熱器と云ふべきか)とベッドがあつた。
これで光熱費込み16ユーロ。当時のレートは1ユーロ150円だつたから、1日2400円、ひと月9万円。破格だつたと思ふ。元々バカンスの間に滞在して作品を売るアーティスト用に設えたものだつたが、パリで弁護士をしていたキャロリーヌもさすがにもう、閉めようと考えているやうだつた。
旅先で絵などを描いてゐるといろいろなことがある。
イベント会場で、にがほゑ描きを数度したことがあつただけの、プロ意識のいまだ薄い私には、まさか代金を回収するのにあれほど苦労するとはまつたくの想定外の出来事であつた。事の顛末はかうである。(※以下はプライバシー保護のため仮名で表記。)
問題のお客さんは20代の女性で名をジャンヌと云つた。ギャラリーには一度覗きに来たことがあつた。ブルターニュといふ田舎育ちで洗練はされていないが、やや小柄の肉感的かつチャーミングな女性である。
ポートレートをお望みですかと問ふと、三葉の写真を見せて、これが小さい頃の私で、あとの二枚は甥つ子と姪つ子なのだが、これを絵にして欲しいと云ふ。
当時は写真から肖像画を描いた経験はなかつた。美校時代の恩師が写真から描くのは本当ぢやないと教へた影響が大きかつた。
昔の写真ではなく今のあなたを肖像画にした方がいいですよ、ずつと魅力的になりますと言つても彼女は肯んじない。強ひて勧めて怒らせては元も子もないので、明後日完成・引渡しと約して引受けたが、不承不承と見えたかもしれなかつた。
与へられた写真は小さ過ぎて絵にならないので、コピーサービスを探して、A3サイズで三枚とも引き伸ばしておいた。翌日から一番描き易さうな少年ジャンから取りかかる。大きなコピー写真を見ながら、F4号サイズ(32×24センチ)に手裁した和紙に丁度をさまる様に輪郭を取る。すべて目視のみのフリーハンドだ。
輪郭を取つたら薄めた墨で調子を入れる。水分の多い墨はすぐには乾かないので、がんがん進める事は出来ない。乾いた部分から陰影を重ねていく。必死になつて写真に喰らひつき、立体感を出さうと試みながら思ふには、写真とはなんと情報量が少ないことか、と。
平常は生きたモデルを前にして肖像画を画く。モデルは動くし輪郭を一発で決めることは困難なので、薄く入れて、確実と思へば濃く決めて、今ひとつと思へば陰影から入れることもある。
実際の頭部や体は厚みと立体感があつて、視るだけで重さも感じ取れる。呼吸する音、衣擦れの音を聴く。香水や整髪料を付けてゐれば薫るし、体臭や吐息を感ずる。モデルに触れることはないが、多視点から視ることで肌の柔らかさや衣服の質感、頬骨や額の固さを感知する。心の裡に感動を覚えたりもする。
味覚を除いて、対象は視覚、聴覚、嗅覚、触覚、そして心といふ五覚を刺激する。画家は五感から得られた情報を絵に注ぎ込むわけである。
ところが写真からの情報は視覚のみである。立体感や重さ、質感も写真に取込まれた黒と白の集積、色と形の信号から読取るしかない。感じるのでなく、推理・分析するのである。心が動くことはない。心が動かねばゑがく醍醐味はない。それは作業にすぎないのだ。
無味乾燥な作業に喜びがあらうはずもない。モデル制作と違つて、写真から描くとはかくもハンディを負つてゐるわけである。
かうしてフリーハンドで描き終へたジャンの肖像は惨憺たる出来映えだつた。モデルはフリーハンドで写せても、写真はフリーハンドで写せない。この事実を思ひ知つた。トレースするしかない。そのためには描く絵とぴつたり同じ、原寸大の拡大コピーが要る。再びコピー屋で三枚ともやり直した、そのまま敷き写せば丁度良く画面に収まる寸法に。
六時間の浪費だ、急がねばならぬ。ライトボックスがないので、窓ガラスにコピーと和紙を重ねてテープ留めして、窓明かりでトレースをした。形をとる手間が省けるのでこれは捗る。あとは写真が発する陰影の信号を拾つていけば良い。
ジャン、そしてブリジットが仕上がつた。ここまでに三時間が経過。さて問題は小ジャンヌだ。何か違ふなあと思ひながらトレースする。可愛さは遠目には感じられるが、見つめるほどにそれが薄れてゆく。上目遣いの瞳。どこか違和感を感じるこの子の表情は何処から来てゐるのだらう。
一緒に写るお母さんの自然なゑ顔に比べ、なんと対称的なことか。いやそんな事を云つてゐる場合ではない。さらに一時間半格闘して、ジャンヌは完成した。こんな処だらう。作業が全部終ると深夜を過ぎてゐた。
翌日飛び込んできたジャンヌは、ジャンとブリジットの出来栄えには満足さうだつたが、子供の自分のポートレートを見たとき、瞳から微かに光が失はれたやうに思はれた。木曜に現金で払うと云ひ遺して帰つていつた。
それからである。異国で独りきり資金の乏しい身の上で、悶々とする日々は辛い。当日、待てど暮らせど彼女はあらはれぬ。翌日も無為に過ぎてゆく。代金60ユーロを回収できないのは痛かつた。
かうなつては彼女が支払いに来る可能性はゼロ。事態を打開するには自らの振る舞ひを省みるほかない。さう、私が悪いのである。一番の間違ひは気の進まない対象を描いたこと。しかし、引受けた以上は描きたい気持ちになつて描くべきであつた。ゑとは画き手の心情を映す鏡なのだから。
よし、ジャンヌに喜ばれる作品を誠心誠意描かう。必ず代金は回収してみせる。整つたかほ立ちなのだから、あとは良い処だけを見るやうにすればいい。この子は成長してお母さんとそつくりの女性になるはずだ。さう思ひながら無我夢中で完成させたのは覚えているが、何月何日に何時間没頭したのか、当時の手帳を見ても記録はなかつた。
さて、あとはショーウインドーにさりげなく飾つて待つほかはない。
幾日目だつただらうか、完成してから初めての金曜日、突然ジャンヌが上機嫌で現れた。そして火曜日に払ふと言つた。やはり気にかけてはゐたらしい。
日曜日、アンナがジャンヌと連れ立つて訪れる。アンナはグロワ島で唯一の、私の友人である。イタリア移民の彼女は苦労して三人の子供を育ててゐる気のいい奥さんで、何度も足を運んで呉れ、私の便宜のために自転車まで貸してくれてゐる。友だちだつたのか、君たちは。
ジャンヌがもう一点、別の甥つ子の絵を描いて欲しいと言ひ出した。私は内心非常に不安だつたがにこやかに引受ける。アンナが観光案内所についてきてくれて、無料で縮小コピーすることも出来た。
この日、4時間半を費やして、甥つ子クリストフの、渾身の肖像画が仕上がつた。時刻は午後11時を過ぎてゐた。
約束の火曜日、午後三時にジャンヌは顔をみせ、気に入つてくれた様子だつたが、「ア・ドゥマン(明日ね)」と言つて帰つて行つた。
水曜日の昼前、ジャンヌが姉を伴つてあらはれる。ふたりして全作品をチェックして、又来るからと立ち去つた。
私はさすがに苦悩した。どうなつてゐるのか……三時間ほど苦しんだ。それから頭を冷やして、自分のやるべき仕事に没頭した。
午後五時半、姉妹がふたたび現れる。二人して下ろして来たのだらう、ジャンヌはつひに四枚分の代金、80ユーロをさし出した。“Merci beaucoup”―心からお礼の言葉が出た。
すると彼女はさらに一枚、甥つ子の写真を取出したのである。
対面制作なら40分から長くても60分で代金は20ユーロ。線描も活き活きとした絵が出来上がる。ところが写真制作は、原寸大コピーの手間に加へて四時間余りかかるので、20ユーロでは割りが合わないのです、といふ言葉を呑込んだまま、「来週には島を離れるので、これで最後ですからね」と受注した。
翌日ジャンヌは、前回より幼いジャンの肖像画と引替へに、快く20ユーロ払つて呉れた。いやはや。嵐のやうな日々が、兎に角も無事に終つてほつとした。
あれから19年の時を経て、私はつくづく思ふのだ。彼女は得難き恩師だつたと。
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