金地テンペラ画「聖カタリナ」模写
イタリア地図の “ハイヒールを履いた女のふくら脛(はぎ)” の突端には、モンテフィオーレ・デッラーゾ(Montefiore dell'Aso)という町がある。町の中央に位置するサンタ・ルチア聖堂にはかつて、21枚の板絵からなる多翼祭壇画が存在した。
この絵の原画『アレキサンドリアの聖女カタリナ』(174×54cm)は祭壇画を構成する板絵の一枚である。
カタリナとは伝説上の聖女で、4世紀か5世紀頃、アレクサンドリアの王家の娘として生まれ、キリスト教に入信した学識豊かな女流哲学者だった。美貌に目を付けたローマ皇帝マクセンティウスが、彼女の信仰を打ち崩そうとしたが果たせず、意のままにならないカタリナを拷問の上に斬首した。
死後に列聖されたカタリナは祭壇画の中に、左手に拷問道具だった車輪を支え、右手に純潔を暗示する棕櫚(しゅろ)を持つ全身像で描かれている。王家の冠を被り衣装も華麗で、また学問の守護者とされたことから大変に人気が高かった。
この元絵の作者は、ベネチア生まれの画家カルロ・クリヴェッリ(1430?-95)。レオナルド・ダ・ヴィンチよりおよそ20才年長で、中世末からルネサンス期にかけて活躍した。油絵画法の勃興期にあたり、遠近法を用いてリアルに描く様式が流行したイタリアで、時代遅れの黄金祭壇画を数多く制作している。
武蔵野美術学園の学生だった私は、夏期講座でこの等身大の全身像を首像として、SMサイズ(22.7×15.8cm)の板に模写を行った。テンペラ作品としては二点目である。実習は、1988年7月15日から30日まで太田國廣(新制作協会・当時)の指導で行われた。
鈍い光沢を発する日本画の金地と違って、西洋画の金箔は磨かれることで強烈な輝きを放つが、これを再現するには周到な下準備をしなければならない。
箔磨きには硬質で完全に平らな下地が必要なため、基底材としては板やパネルが用いられる。この表面に膠(にかわ)で溶いた濃い石膏液を刷毛で10層ほど、約5~10ミリの厚さになるまで塗り重ね、乾燥後、鉄板の角や小刀の刃先で完璧な平滑面となるまでけずり取る。
※ 膠というのは、煮皮とも記されることもある、獣皮や骨を原料とするタンパク質の糊(のり)のことで、日本画にも洋画にも頻繁に用いられる画材である。
さて、削り取られた石膏は厚みが2~1ミリ程度に薄くなる。これに箔下砥の粉(とのこ)と呼ばれる粒子の細かい赤土に膠糊を混ぜた塗料を塗り、乾いた画面をメノウ石で擦ると表面はほぼ平滑になる。
この上に厚さ0.1~0.2ミクロンの純金箔を、箔刷毛や綿棒ですくい取って押すのだが、その直前のアルコールの一塗りによって、粘着性が戻された画面の膠によって箔が付くわけである。
0.1ミクロンは1ミリの1万分の1という、もはや厚みといえない厚みである。わずかな吐息でもしわになる金箔の取り扱いは容易ではないし、また日本製の箔は薄すぎるために、二度押し(二枚重ね)が必要となる。こうして押された金箔の下部の膠が乾けば、メノウ棒による箔磨きが可能となる。
背景の作業が終わってやっと、テンペラ絵具の描画をはじめられる。テンペラ画の実際については、サンプルの創刊準備号を参照されたいが、一点付け加えると、金箔に絵具は付きにくいので、描画予定部分まではみ出してしまった金地は、紙やすりでていねいに除去しなければならない。厚さ2ミクロンとはいえ、金属の薄膜をこすって除くのは大変に骨の折れる作業だった。
彩色には3日間があてられた。ここで全体の輪郭線をもう一度なぞって明確にしてから、テールベルトという緑色顔料一色だけで、全体を仕上げる様にという指示があった。モノクロームでキッチリと明暗・肉付けが再現できたあとで、少しずつ肌色や宝飾、衣装の色を塗るわけである。
もたもたした初心者にとって3日間というのはごく短い時間であり、描画はあっさりとした仕上げとならざるを得なかった。
また仕上げニスの処方までは実習で学ぶことは出来ず、数ヶ月乾燥させた後に個々行うようにとのことで、これにて実習は終了となった。
テンペラ画や油彩画の乾燥は、仕上げニスをかける前に1年ほど待つべきと技法書にあるのだが、この原則を遵守するのは難しい。絵画はめったに売れるものではないので、機会を逃すだけでなく在庫ばかりが溜るのは不経済だからだ。注文制作である肖像画の場合、お客様に一年待っていただくなど考えられない。
約ひと月ほど置いた9月26日のことである。作品を入れた箱の蓋を取ってみた。「あぁ」このときほど失望したことはなかった。短期日とはいえ精魂こめて作りあげた聖女像には、鼻、頬、唇、顎……あちこちに虫喰いがある。ゴキブリの仕業だ。
「□!$※&*&♭☆%▲!!」私は彼らに呪いの言葉を浴びせ、歯噛みしながら、その日中に損傷部分の復元を終わらせた。
こうなったら出来るだけ早く仕上げニスをかけねばならない。ワニスをかけないということは、どうぞお食べ下さい、どうぞおカビくださいと云うのに等しい。私は周囲にホウ酸ダンゴを配置し、たびたびカビていないか確認した。
10月9日。補筆部分は2週間しかたっていないが、絵の大部分はまる2ヶ月乾燥させてある。私はワニス仕上げを決行した。
ワニスは天然ダンマル樹脂とテレピンオイルを1:2に調合したものを用いる。ダンマルは東南アジア産の樹木から採れる樹脂で、膜を作る本体成分であり、テレピンは松脂を蒸留して作る揮発性の薄め液。乾くと成分は残らない。
テンペラの乾燥が十分とはいえないため、余り厚くし過ぎないように、これをもう一種類の薄め液であるペトロールでさらに薄めておいた。原料は石油であるが、これも乾くと成分は残らない。これを刷毛で2度塗りした。
これで完成。ワニスが乾いてからガラス入りの額縁に収めて壁に掛け、たまに気づいたときに画面を観察。虫喰い等の異常は見られなかった。
しばらくしてから、もう一つのテンペラ画『編んだ髪 模写』と併せて親しい友人に買い取ってもらった。模写が上手く描けても所詮は、巨匠の作品なくして存在しないものである。手元に置いておいても自尊心を募らすばかりと考えたためだ。
月日は流れ、この絵に再会したのは30年近くたった2019年2月のことだった。友人の実家を訪ねたのである。他人に譲渡した作品の経年変化とワニスの有効性を知る良い機会だ。
果たして、彼女は悲しむべき状態にあった。壁に掛けられまったく変化の見られなかった『編んだ髪』に比べて、『聖カタリナ』は、一度も飾られずにダンボール箱のまま湿気の多い場所に保管されていたらしい。1988年と同じく虫喰いによる脱色が肌のあちこちに見られた。特にアゴの傷が醜い。ニスが不完全だったのだ。
友人は不在だったのでご両親に不手際を謝罪し、持ち帰って無償で直し返送することにした。予め修復作業は、仕事の合間に行うということでたっぷりと期間をいただいておいた。
修復は保護ニスをテレピンで拭き取ってから、240番の紙やすりで虫喰い・ヘアークラックを削り取った上で補彩を行った。もともと短い授業のあいだに仕上げた作品で、描き込みに不満もあったから、肌部については全面的に加筆した。5月31日に完成。眺めてみると血の気が通ってきた感がある。
カビとゴキブリに注意しながら2ヶ月が過ぎ、石灰カゼイン水という水性の塗料を用いて、ニスの前段階の目止め処理を行った。これでゴキブリの心配はない。30年の経験で得た技術である。さらにひと月おいて、市販のダンマルワニスの原液を2度塗りした。こうしてカビの心配はなくなり、画面には艶が加わった。
この後数か月経過を観察してから、礼状と共に返送した。
このまことに苦々しい一件によって、まずは物作りにとって、技術が最重要かつ、すべてであることを改めて認識させられることになった。
二つにはお客様に対して誠実であれ、というか自分自身を裏切ってはならないということ。
三つには修業時代の作品は手元に置いておくべきだということ。
しかしまあ、テンペラ画を描く以上はこのような苦闘が生涯にわたって続くのだ。どうぞ彼らをとこしえに去らしめ給え。
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