テンペラ画「編んだ髪」模写
この絵は印刷物を見ながら描いた模写作品で、完成したのは1988年の10月、今を去る34年の昔のことになる。美術学校でテンペラという珍しい画法に出会って間もない頃のことで、授業中に描いた作品よりももっとリアルな作品を模写してみたくなったのだ。
この模写作品の元絵の作者は、当時まだ存命だったアメリカの国民的画家のアンドリュー・ワイエス(1917-2009)である。現代におけるテンペラ画の第一人者として広く知られている。
題名が「編んだ髪」(原題:Braids)とあるように、お下げ髪の立体感の描写が際立つ作品である。ワイエスが1977年に制作したオリジナル作品では女の両肩まで描かれていて、それを暗い背景がゆったりと包み込む、横長の胸像だった。絵の大きさは、41.9×52.1cmで、日本のキャンバス・サイズでいうところのP10号に近い。
私はこれを小さく切り取った縦長の首像として、SMサイズ(22.7×15.8cm)のキャンバスに描いてみた。
日記によればこの絵を1987年8月21日に着手している。当時ワイエスの画集の宣伝パンフレットを入手しており、その表紙絵が「編んだ髪」の見事なカラー図版だった。これをモノクロで複写して、キャンバスに固定し、カーボン紙をはさむ。次に赤のボールペンで「編んだ髪」の白黒コピーの外郭をなぞれば、正確な輪郭線が得られる訳だ。
キャンバスには当時、国内一のメーカーだったフナオカキャンバスが出していたテンペラ用キャンバスのサンプル品を使用した。地塗りの色味は白でなく、濃いベージュ色をしていた。
翌22日から彩色を開始する。テンペラ絵具は純粋なものは市販されていないので毎日自分で作らねばならない。材料は市販の粉末顔料と新鮮な卵の黄身である。卵黄にはあらかじめ防腐剤として酢を加えておく。
顔料は、朱、赤、黄、青、緑、茶、白、黒。小皿にそれぞれ粉末を取って、卵黄メディウム(糊)とよく混ぜる。これを0号という直径1ミリ強の細筆に付けて描くのである。
この日のメモには描き始めの色名が記されていた。
- 背景……茶色
- 顔……緑灰色 + 黄色
- 髪……黄色 ⇒ 黄土色
- 着衣……黄色 ⇒ 黒色 + 白色 + 茶色
3日目、模写ははやくも挫折した。色数を少しずつ増やしたがまとまりがつかなくなった。平板で立体感(ヴォリューム)は皆無。色味はばらばらで深みの出し方がまるでわからなかった。ひとことでいえば、デッサンがとれなかったということに尽きる。
当時は美術を習い始めて2年目。テンペラは授業で1点手掛けただけ。これも模写ではあったが、元絵は15世紀のものだったので、古典技法がそのまま通用した。
基本は、肌色なら肌色で明・中・暗の3色を作っておき、最も自然な肌色に中肌色、明部に明肌色、暗部に暗肌色を塗ることで立体感を得るというもの。 しかし、ワイエスのリアリズムは古典技法の進化形というべきもので、3つの肌色で描き尽くされるものではなかった。この時点で制作は終わった。本当に、手のつけようがなかったのだ。
再開したのはちょうど一年後8月20日のことである。この間に授業で2つのテンペラ画の制作を終えていた。またこの年、1988年の春に、1か月のヨーロッパ美術研修旅行を体験して、本物のテンペラ画を数多く見て来ていた。
再開にあたってまず、紙やすりで昨年の描画層を削り取ると、トレースをやり直し、正確な輪郭線を復活させた。次に、緑土でテンペラ絵具を作り、白黒コピーを見ながら、丸2日間かけてデッサン(フランス語でグリザイユという)を完成させた。ちょうどモノクロ写真が深緑一色でプリントされたような状態である。
3日目に初めて彩色に入った。下地の緑の人物像に対して、
- 背景……青色または赤色、その上から全体に黒色を薄くかける
- 顔……白色 + 黄色 + 朱色 + 紅色 で明・中・暗の3色を作り描き込む。
- 髪……紅色を全体にかける
だんだん肌の下地色である緑味が薄れ、肌の厚みが感じられるようになった。
5日目。セーターの描き方がわからず、試行錯誤。9月27日が7日目。経糸と緯糸(たていと、よこいと)で織物を織るように、筆跡を重ねるのだ。セーターのとっくり部分はほぼ完成。髪の仕上げに入る。
10月7日が9日目。この間に五日も雨が降り、絵に青カビが発生した。卵の黄身を放置しているのと同じだから、多湿な時分はカビが生えて当然か…。筆で軽く払う。カビが卵黄被膜の艶を脱脂させている。参った。
10月10日、髪と顔の仕上げ。疲れる。もう終わりにしたい…。顔は大分良くなった。元絵のカラー写真をふと逆さにしてぎょっとする。ワイエスはヴァルールが完璧なのだ。
ヴァルールとは色価(色の価値)と下手訳されている。隣り合う色の明暗表現が確かであれば、描かれた物の前後の距離まで正しく見える。手前のものが手前に、奥のものが奥に存在する。逆さにすると落っこちそうに見えるほどに。それがヴァルールという西欧独自のものの見方である。
ワイエスのそれは鳥肌ものだった。
10月12日。再開してから11日目に模写は完成した。
緑土の下地が強すぎたようだ。メリハリもなく、無駄なタッチが多いなど、不満はあるが、この時点ではこれ以上の仕事は出来なかった。全力を尽くしたのだ。
そして、半年以上絵具を完成させた後、画面保護のための仕上げニスを二度塗布した。こうすればカビにもゴキブリにも侵されることはない。当時は、ルフラン社製の艶消しワニスを使用している。その後、別のテンペラ画と併せて名古屋の友人に譲渡した。
完成から31年を経た2019年2月14日、私は妻同伴で友人宅を訪ねた。2つのテンペラ画の経年変化を確かめたかったからである。友人は不在だったが、若い頃と同様にご両親は温かく迎えてくれた。
「編んだ髪」の二ヶ月前に授業で描いた一点は劣化が激しかった。ご両親にお詫びして、これを神奈川のアトリエで修復後に返却する約束をさせてもらった。この作品については次号で語ることにしよう。
しかし、「編んだ髪」は全く劣化していなかった。したがって、これ以後制作したテンペラ画は、良好であると推測できるであろう。私にはそれが何よりもありがたかった。
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